12/22/2005

金メッキ

7世紀の金メッキ、鮮明に


飛鳥時代に渡来系氏族が創建したとされる京都府山城町の高麗(こま)寺跡を調査している同町教育委員会は二十一日、塔の屋根から伸びた相輪の一部で、先端を飾った水煙部の金銅製心棒片が出土したと発表した。

 塔が完成した七世紀中ごろのものとみられ、メッキした金が鮮明に残っていた。町教委は「金メッキは当時、朝鮮半島伝来の最高水準の技術。渡来氏族の財力や、同寺の荘厳さがうかがえる」と話している。

 心棒片は長さ約一三・五センチ、幅約四センチ、厚さ約一センチで、直径一五センチの筒状の一部とみられる。塔の基壇を囲む石敷きから出土した。町教委によると、心棒片は兵庫県姫路市の播磨国分寺跡など数カ所で出ているが、金メッキはほとんど残っていなかったという。このほか塔跡と金堂跡で、瓦で外側を飾った瓦積み基壇跡が確認された。現地説明会は二十三日午前十時半と午後一時半。

 ◇森郁夫帝塚山大教授(歴史考古学)の話 塔上部の相輪が金色に輝き白壁に朱塗りの柱が鮮やかな、大変美しい塔が想像できる。高麗寺が一級の寺だったと分かる発見。寺建立は最先端の技術で、中央から派遣された技術者集団が建設したのだろう。

京都・高麗寺で出土した、金メッキです。
7世紀にこんな技術があったんだ。

夢見たいな話しです。

最近のメッキは、どうもはがれやすいし、自分のことのみのニセメッキのようです。
耐震経済設計という、矛盾したメッキでした。